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歴史

占いと言えば、タロットや易、星座などと並んで、手相占いもポピュラーなものですが、いつ頃から手相占いが行われていたのでしょうか。書店に行くと、占いコーナーには必ず手相の本がありますし、図書館などでも貸し出し中が多く、人気のある占いです。

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手への関心

人は、太古の昔から手に関心を持っていたようです。オーストラリアのタスマニア州や、スペイン北部にある先史時代の洞窟には、沢山の手が描かれている壁画があります。こうしたことから、石器時代の頃から、手に強い関心を持っていたと考えられます。古代文明では木や石、象牙で手の形を彫り、死者を埋葬するときには、手の形をしたものを一緒に埋葬するなど、手には何らかの力があると信じられていて、手を模ったものを儀式に使ったり、護符や幸運のお守りとして使ってきたのです。

手相占いの歴史

手相占いは、古代インドで3000〜5000年前に始まったと言われていますが、詳しいことは分かっていません。エジプトや中国、古代エジプトやヨーロッパに広まり、それぞれが独自の発展を遂げたと言われています。

中国では紀元前3000年頃にはすでに指紋の存在を認識し、皇帝が文書に封をするときに、自分の拇印を押しています。手の平を見て、手相を性格判断や未来を予見するために占うのは、それよりも1000年あとになります。

幸運を表す線や手のしるしを解釈する方法が、サンスクリット語の文献に、『サムドリカ・シャストラ』という言葉で記録されています。ヴェーダの写本にも手相占いの法則と実践について記録されていて、聖書や初期のセム語の文献でも触れられています。

手相学の普及

手相学はペルシャ、エジプト、トルコ、ギリシャまで広まり、『キロロジー』と呼ばれていました。アリストテレスが旅でエジプトを訪れた際、ヘルメス神の祭壇に、金の文字で書かれた、アラビア語の手相学の本が捧げられていたのを見つけたと言われています。


アリストテレスはこれをアレクサンダー大王に送り、とても価値のある研究として、学者は皆これを学ぶべきだと提言しました。その価値をアレクサンダー大王が認め、ラテン語に本を翻訳させ、手相の知識はヨーロッパの学者にも広がっていきます。様々な研究がなされ、学問の重要な1つの分野として手相学が世界中で定着し、人間心理学の力学を理解する方法として哲学者から賛美され、健康診断の指標として医師からも重視されるようになっていきます。

専門家たち

手の機能を観察し、それを記したアリストテレスは手相学の普及に大きく貢献しました。アリストテレスが著したとされている『Chiromantia』は、現在まで残る、最古の手をテーマとするテキストです。


現代医学の創始者でギリシャの医師、ヒポクラテスは爪を見て診断することに長けていましたし、ガレノスは親指を研究し、診断することに長けていました。ジュリアス・シーザーは、手の形を見て部下達を判断できるほど手相に通じていたとも言われています。

衰退

手相学が繁栄する一方で、中傷する人も少なくありませんでした。手相学の評価を傷つけた存在は教会でした。人々を食い物にする悪徳手相家の活動を抑えようとしたと共に、手相学は異教に起源を持つと考え、ローマカトリック教会は手相学を異教的として糾弾しました。手相に関わる者は破門としたため、一目を忍んで手相診断が行われるようになったのです。

日本への伝来

日本に手相占いが伝わったのは、平安時代と言われています。貴族階級に広まったのが源氏物語などにも記されています。一般庶民に手相占いが伝わったのはそれよりも後で、江戸時代になってからです。手相家として、水野南北という人物が有名で、現在でも手相の専門家からは崇められていて、水野南北の誕生を記念した催しや法要が行われているほどです。

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